かんごがくぶログ - シュールな会合
この間の日本看護科学学会学術集会でたまたま出くわした看護系大学の教員4人で会合をもった。時期的に年末ということもあり、位置づけ的には忘年会。陣容は、T大学のYさん(TY)、別のT大学のFさん(TF)、S大学のSさん(SS)、そして僕(TM)である。
TYとTFは10年ほど前に虎ノ門病院で一緒に勤務していた経験があり、SSとTMは15年ほど前に特定非営利活動法人在宅ケア協会で同じクライアントの在宅看護に関わっていたことがある。TF、SS、TMは同じ学科の同窓だが卒業年度がちがうので在学中の面識はない。TYとTMは前任校が同じだがTYとSSに至ってはこれまで面識がない。男女比3.00、未既婚比1/3、看護における専門分野もまるで異なる。
つまり、普通ならわざわざ集まることのないつながりの薄いメンバーであえて会合をもってみたというわけだ。ねらいはシナジー。ふだんと違うメンバーで話すことで何か新しい知を生み出せるのでは、という裏付けのない期待感だけが参加者のコンセンサスと言っても過言ではない。
結果としては、結構いいアイデアが生まれたと総括。しかしながら、この記事、記憶が新鮮なうちに記録しておこうと思って最初の2行だけ書いておいたのだが、他の仕事にかまけてほったらかしにしてしまった(最近そういうパターンが頻発)。で、いま(2010年1月4日)改めて振り返ると、新たな着想があったという記憶は残っているものの具体的なアイデアが思い出せない。やはり「忘年会」という枠組に抗うことはできなかったものと推察する。
とは言え、こういうシャッフルは看護の知の創出にとって有用性が高いという印象を強く持った次第。これはまさに「知の合コン」。いわゆる合コンがカップルの創出を目的としているのに対し、「知の合コン」は知の創出が目的だ。ただ、幹事はちょっとつらいかな。なにしろ、議論によって知が生まれるようなメンバーを探さなければならないからね。ここんところが単に異性のグループを探せばよい「いわゆる合コン」とはワケが違う。
だから、知の合コンについては幹事集約型の従来型システムではなく、それに価値を置くメンバーが幹事機能も併せ持つという分散型幹事システムを提案したい。そうなると、それらメンバー兼幹事がお互いを知る場が必要となる。まさに知の発展場である。そんな場としてすぐに思いつくのが、今回もそうであったように学術集会。ただ、今回は薄いとは言え何らかのつながりがあったので知の合コンに至ったが、まったく面識のないメンバー同士を意気投合させるための仕組みは学術集会にはない。
いや、交流集会とか学会のセッションとかきっかけはいくらでもあるでしょう、という意見もあろうかと思われるが、なかなかそうはいかない。いわゆる合コンは、初対面の未婚の男女同士が集まることを前提としているので、そういう場を設けてもそれを「合コン」と呼ぶことによって、初対面同士(正確に言えば面識のない男女2つのグループ)が一同に会することを正当化できる。
翻って、僕がある発表を聴いて「この人と議論したら新たな知が生まれそうだ」と直感したとしても、その人たちを誘って議論のためにメシを食いに行く可能性はゼロに近い。「あなた方と話をしたら新しい知識が生まれそうだ」などという直球勝負の勧誘では絶対に変なおじさん状態だ。また、そこんところをボカしてメシにこぎ着けたとしても、話題が議論ばかりだとやはり変なおじさんになってしまう。それ以前に、圧倒的に女性の多い看護界では議論の相手も自然と女性が多くなる道理だが、単に知識創出のための会合をもつというコンセンサスが一般的ではない現状においては、異性というだけで誘うのがはばかられる感じが僕などにはある。
したがって、これからやることと言えば、知の合コンの有用性についてコンセンサスを形成していくということである。そのためには、成果を出さなければならない。いわゆる合コンが市民権を得たのは「カップル成立」という成果を生み出してきたからにほかならない。同様に、知の合コンも新たな知の創出を以て成果を示し、「知の合コン=研究者のたしなみ」ぐらいの共通認識を獲得すれば前述した変なおじさん状態への恐怖も杞憂となろう。
正月からチュートリアル張りの妄想モード全開だったな。ま、僕としては知の合コンの具体的成果を記憶にとどめておくことが先決だけどね。
TYとTFは10年ほど前に虎ノ門病院で一緒に勤務していた経験があり、SSとTMは15年ほど前に特定非営利活動法人在宅ケア協会で同じクライアントの在宅看護に関わっていたことがある。TF、SS、TMは同じ学科の同窓だが卒業年度がちがうので在学中の面識はない。TYとTMは前任校が同じだがTYとSSに至ってはこれまで面識がない。男女比3.00、未既婚比1/3、看護における専門分野もまるで異なる。
つまり、普通ならわざわざ集まることのないつながりの薄いメンバーであえて会合をもってみたというわけだ。ねらいはシナジー。ふだんと違うメンバーで話すことで何か新しい知を生み出せるのでは、という裏付けのない期待感だけが参加者のコンセンサスと言っても過言ではない。
結果としては、結構いいアイデアが生まれたと総括。しかしながら、この記事、記憶が新鮮なうちに記録しておこうと思って最初の2行だけ書いておいたのだが、他の仕事にかまけてほったらかしにしてしまった(最近そういうパターンが頻発)。で、いま(2010年1月4日)改めて振り返ると、新たな着想があったという記憶は残っているものの具体的なアイデアが思い出せない。やはり「忘年会」という枠組に抗うことはできなかったものと推察する。
とは言え、こういうシャッフルは看護の知の創出にとって有用性が高いという印象を強く持った次第。これはまさに「知の合コン」。いわゆる合コンがカップルの創出を目的としているのに対し、「知の合コン」は知の創出が目的だ。ただ、幹事はちょっとつらいかな。なにしろ、議論によって知が生まれるようなメンバーを探さなければならないからね。ここんところが単に異性のグループを探せばよい「いわゆる合コン」とはワケが違う。
だから、知の合コンについては幹事集約型の従来型システムではなく、それに価値を置くメンバーが幹事機能も併せ持つという分散型幹事システムを提案したい。そうなると、それらメンバー兼幹事がお互いを知る場が必要となる。まさに知の発展場である。そんな場としてすぐに思いつくのが、今回もそうであったように学術集会。ただ、今回は薄いとは言え何らかのつながりがあったので知の合コンに至ったが、まったく面識のないメンバー同士を意気投合させるための仕組みは学術集会にはない。
いや、交流集会とか学会のセッションとかきっかけはいくらでもあるでしょう、という意見もあろうかと思われるが、なかなかそうはいかない。いわゆる合コンは、初対面の未婚の男女同士が集まることを前提としているので、そういう場を設けてもそれを「合コン」と呼ぶことによって、初対面同士(正確に言えば面識のない男女2つのグループ)が一同に会することを正当化できる。
翻って、僕がある発表を聴いて「この人と議論したら新たな知が生まれそうだ」と直感したとしても、その人たちを誘って議論のためにメシを食いに行く可能性はゼロに近い。「あなた方と話をしたら新しい知識が生まれそうだ」などという直球勝負の勧誘では絶対に変なおじさん状態だ。また、そこんところをボカしてメシにこぎ着けたとしても、話題が議論ばかりだとやはり変なおじさんになってしまう。それ以前に、圧倒的に女性の多い看護界では議論の相手も自然と女性が多くなる道理だが、単に知識創出のための会合をもつというコンセンサスが一般的ではない現状においては、異性というだけで誘うのがはばかられる感じが僕などにはある。
したがって、これからやることと言えば、知の合コンの有用性についてコンセンサスを形成していくということである。そのためには、成果を出さなければならない。いわゆる合コンが市民権を得たのは「カップル成立」という成果を生み出してきたからにほかならない。同様に、知の合コンも新たな知の創出を以て成果を示し、「知の合コン=研究者のたしなみ」ぐらいの共通認識を獲得すれば前述した変なおじさん状態への恐怖も杞憂となろう。
正月からチュートリアル張りの妄想モード全開だったな。ま、僕としては知の合コンの具体的成果を記憶にとどめておくことが先決だけどね。
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